福祉業界は日々変化しています。制度も福祉サービスも。保護者もその変動に常に注目し、把握していかないといけないと思っています。特性のある子どもたちのこれからの人生を少しでも生き易いものにするために、子どもたちの未来のために、それが親の役割だと思っています。
福祉サービスについてよくわからないけど勧められたから、便利そうだから利用するだけでなく、子どもにとってそれが本当に必要なサービスなのか、また子どもにとって本当に適切な支援が行われているのか。私たち保護者こそ「福祉」についてしっかり勉強し、福祉サービスについて見る目を持ち、考えていくことが地域の福祉や福祉に関わる人たちの意識の向上につながり、それが子どもたちへの適切な支援につながると思っています。
ここでは子どもたちの未来のために保護者が知っておいた方が良いのではないかということ、これからのことを考えていくための参考になればと思うことを載せていきます。
発達障害者支援法についてご存知ですか?2004年施行、2016年法改正とそれなりに年月が経っているのですが、地域差があるのでしょうが、私の住む地域では全然知られていないような?…
それでもテレビや講演会・障害者フォーラム等で発達障がいのことが取り上げられることも多くなってきて社会的認知度も高くなってきていると思います。だからこそ今、発達障害者支援法について、取り上げてみました。頭に入りずらいお堅い内容(法律ですから)から、比較的わかりやすく書いてあるものをピックアップしました。
「一般社団法人 日本小児神経学会」より
本田秀夫先生(信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)のお話はとても勉強になります。機会がありましたら、ぜひ講演会にお出かけください。
保健師は本当に重要なポジションにいると思います。私たちの住んでいる地域の保健師はどうなのか?どこまでの意識があるのか、どれだけのスキルがあるのか…まずは障がいのある子どもを持つ保護者に寄り添う気持ちを持ってもらいたいと思います。
療育とは?
「療育」という言葉から連想するものとして、「がんばって訓練をして障がいを軽減、克服する」というイメージを持つ方も少なくありません。しかし、「療育」の本来意味するところは、障害を持ちつつ成長する子どもをいろいろな面から支える、相対的な取り組みにあります。
子どもの力を伸ばす、発達を促す試みもその中には含まれますが、それ以上に福祉機器の利用や環境の調整などによって、障害があっても子ども一人ひとりが充実した生活を送ることができる、そのための支援が大切になります。
障がいに対する理解
「療育」を効果的に進めるためには、まず子どもの障がいを正確に理解することが大切となります。子どもの障がいが理解できないでいると、子どもに無理を強いたり、誤った接し方になるなど、こども本人ばかりか、保護者や家族にも大きなマイナスがあります。
子どもの障がいを理解するためには、信頼できる専門機関を受診することが一番です。各自治体にも相談窓口がありますので、相談してみましょう。
運動面に障がいがある場合、知的な側面の障がいが見過ごされることが少なくありません。一面だけに偏ることなく、子どもの全体像に目を向けていくことが大切です。
親子のコミュニケーションの重要性
親子のコミュニケーションで大切なのは、「ことば」にこだわらないことです。コミュニケーションを考える時に、人は「ことば」を重要視しがちです。しかし、「ことば」はコミュニケーションのひとつの道具にすぎません。「ことば」以外のコミュニケーション手段をたくさん使って、子どもに働きかけ、また子どもからのメッセージを感じ取ってください。
「ことば」だけで伝えよう、また「ことば」だけで伝えてもらおうと考えると、お互いの気持ちの上で無理が生じます。大切なのは、子ども自身が自分に働きかけてくる人の存在を常に感じられることであり、また自分からの働きかけに応じてくれる人の存在を感じ取れることだと思います。
特別支援学級の意義、理想の教育環境についての記事がありましたので載せさせていただきました。
☆リタリコ 「優しい子ども」はどう育つ?
この記事は、息子の小学校時代を振り返るとすごく実感できる話だと思っています。地域の学校で特別支援学級と原級(普通学級)を交互に利用していた息子の同級生の子どもたちは、息子の支援学級への行ったり来たりや息子の特性をそのまま自然に受け入れてくれていました。が、それにはしっかり理由があるとずっと思っていました。
小学校入学時の学年主任の先生が理解のある方で、その学年は息子以外にも何人か支援学級を利用していましたが、学年全体でスムーズな流れを作ってくれて本当に自然な受け入れが整っていました。そんな恵まれた環境のおかげで息子は穏やかな小学校生活が送れたと思います。「他の学年は荒っぽい子が多いけど○○君の学年は穏やかな優しい子たちが多いよね」と他学年の保護者からも言われました。
この記事にもあるように障がいのある子どもと同じ時間を過ごすことは他の子どもたちにとっても良い環境だったと思っています。
”共に学ぶ環境があり、幼いころから「違い」を当たり前のように体験していることは人間教育の上でとても大切なこと”。自分と違った人を受け入れる教育や機会があったからこそ自然に優しい子どもたちが育ったのだと思います。
ただ、こんな優しい子どもたちでも中学校時代というのは厳しい時期で、思春期やいろんなストレスで誰もが不安定になり他者を思いやる余裕がなくなるのはどうにもならない成長過程。中学に上がってからは授業スタイルの違いなどで息子はほとんど支援学級で過ごしていたこともあって原級の様子など後から聞いたのですが、いじめや仲間はずれがあって不登校になる子もいたそうです。他の学年に比べれば少ない方だと思いますが、優しく育った子どもたちでさえそうなってしまうのだな~と思った記憶があります。だからこそ中学の時期の教育には本当に慎重かつ繊細さが必要だと思っているのですが、教師自身も膨大な雑務に追われて子どもたちをしっかり見る余裕がないと思っています。個人的には中学校という教育課程には根本的に大きな問題があると思っています。
息子は学校自体は大好きで休むことはほとんどなく、大きな学校行事では同級生に交じって活動でき、山登りや修学旅行も喜んで行くことができたのは小学校時代からの信頼関係があったからだと思っていて、小さい頃からの教育、特に小学校低学年時の教育の重要さを今更ながら感じます。
障害児は「入会お断り。」傷付く言い方、納得できた伝え方…その差とは?
この記事は保護者としてはとても辛い内容です。でも表面上だけ丁寧に言ってくるけど内心では…ということがこの地域では多いと感じます。本人たちはそんなこと考えてもいないので、よく聞かれるのが「私たちはちゃんと(仕事の範囲で)やってあげてるのに…」。
”やってあげている”この感覚がそもそも間違っていることに気づいていない無意識の無関心。これが福祉への理解、意識の低さだと思います。